4代将軍家綱の時代に、明暦の大火の惨事を教訓として、人々が隅田川を渡って東岸に避難できるよう、幕府により新たな橋が建てられました。
この橋は武蔵国と下総国を結ぶことから、両国橋と呼ばれました。
両国橋の東西のたもとには大きな火除地(広小路)が設けられました。
火除地には、いつしか仮設の水茶屋、床見世、芝居小屋などが立ち並ぶようになりました。
また、明暦の大火の犠牲者を弔うための万人塚が築かれ、のちに回向院となります。
回向院では、全国各地の寺院の出開帳がさかんに行なわれ、また、境内では勧進相撲が催されました。回向院で行なわれる興行は江戸庶民の人気を博しました。
8代将軍吉宗の時代には、享保の大飢饉で亡くなった方々の鎮魂などのため、両国の川開きにあわせて、花火が打ち上げられ、以降、江戸の夏の風物詩となりました。
こうして、両国は江戸時代に興り、大いに賑わいました。
2022.07.01
貸会議室(コミューンχ)につきましては、2022年12月12日(月)~2023年3月14日(火)でリニューアル工事を行います。
従いまして、大変申し訳ございませんが、当該期間中はご利用できませんので、よろしくお願いいたします(洋室・和室とも)。
2019.05.30
当社を装った迷惑メールが確認されております。
このような迷惑メールに記載されているアドレスにアクセスしたり、添付ファイルを開いたりされ
ますとコンピューターウィルスに感染する恐れがございますのでご注意下さい。